ロボットにヒトのすごさを教えられ
尊敬する水野タケシさんの句です。
苦労を重ねて作ったロボットなのに、人に近づこうとしているロボットなのに、なんとなくぎこちない動きのロボット。技術者の苦労を知れば知るほど、一体「人」って誰がどうやって作ったの....?
という思いは誰しもが持ったことがあると思うのですが、それをズバリと表現する水野タケシはスゴイと思うのです。
我が師、お鶴さんの句に、
ロボットにやさしい言葉だけ教え
という作品があります。
ロボットなのに人、もっといえば将来性と感受性がとても豊かな子と見立て、親の視点から愛を持って表現していると論評すれば、ロボットではありますが愛を詠うお鶴さんらしい句だと思います。
ロボットに言葉を教える人の気持ちはどんなものなのでしょう?
教えたことを忠実に守ってくれるロボットに、やさしい言葉が広まることを託しているのでしょうか。
仮に、人であればやさしい言葉だけを教えても何処かで悪い言葉を覚えてしまう。という嘆きが表現されているのかもしれません。
また、人の場合はやさしい言葉だけを覚えたとしてもそれでは生きていけないという現実を透かしてみると、ロボットを通してユートピアを夢見ているのかもしれません。
いろいろな事を思わせてくれる句です。
そして今日、お鶴さんのロボット句が万能川柳に掲載されました。
ロボットにしあわせになる手相描く
これはやられた。
手相を描くなんて相手が人じゃできないこと。
(つまり発想がわかないこと)
もっといえば手相を変えたり書いたりという発想は
たとえあったとしても自分の手相に対するもので、
他の誰かの手相を変えようなんて発想は全くない。
その全くないづくしのところにロボットを持ってきて共感を呼ぶストーリーを仕立てたこの句はとてもスゴイと思います。
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